魔法とマジカ

Magic and Magicka

アルカナの復古Arcana Restored

手引き書
名誉教授
ワップナ・ニューストラ 著

第一項:純金のみによって気質は整流され、真なる力の混沌より生まれた真の原理へと導く。よって、純金で満たされるマナの泉を創作し、泉の水面に純金を滴らせ。泉がもたらす危険な嵐より己を守る細心の注意を怠るな、なぜならば、これらの来襲は己の生命を枯れ果てさせるもととなる。

第二項:己の気質要素をもって、自身やその他の世界を混乱させぬよう、必要とする言葉を必要とする時に、違わず発するためにもこの優れた書を携行するよう心がけよ。

第三項:この書のみから学べる適切な言葉をささやきながら、修復を望む品を己の手に取り、満たされた泉に浸せ。腸が私の知識への妬みで浸食され、間違いを多く盛り込み、すべてにおいてこの書に劣る彼らの手引き書の有効性を語るカーネソンやラッターの、汚れた中傷などに傾ける耳を持つなかれ。

第四項:己の傷は即座に治癒せよ。または神殿や治癒師の前にその身を現せ。貴重なアルカナの復古を完全に果たそうとする者は苦痛や苦悩を負う。しかし、過度にその痛みに耐えることは賢明にあらず。苦しみがアルカナの効力を向上したり、崇高にするものにもあらず。カーネソンやラッターの思慮なき憶測に傾ける耳を持つなかれ、彼らの過ちや邪悪は造詣の浅い評論家にも一目瞭然なり。

さやの剥離についてOn the Detachment of the Sheath

さやの外皮からの剥離について

フェルヴィディウス・サルン大司教 著

与えられたすべての陥凹、またはアービスの外皮内のさやは必然的にアービスに含まれるものの、正しき到達はさやが外皮から離れてよいか、ムネモリの召喚によって決定する。星の孤児との性交において、嘆願するアレスティックは思考の器官を裏返しにするが、これは横から見た円は塔であるという真実を概括するハーリングディスクの行使である。同様に、包んでいるさやを中庸なる夜明けにねじ込むと(17の数まで)、悪い時間と場所に運ばれる。

もちろん、到達主義では回転する力が枯渇した場合は再吸収が予測されるが、継続時間の欠如が結末の仮定までをも放棄するかも知れない。

タムリエルの旅の祠Wayshrines of Tamriel

〈告げ示す者〉ベレダルモ 著

遠い昔から、タムリエルの敬虔な定命の者は神聖とされた場所で神々への祠を建ててきた。これらの場所の多くはそこで起きた奇跡や神の祝福を受けた出来事により特別とされたが、他の場所は単に神々への畏敬の念を起こさせるという理由で選ばれた。利便性を考えずに啓示を受けたあらゆる場所に作られたため、それらは土地全体に散らばり、「旅の祠」として知られるようになった。

もちろん、敬虔な崇拝者によりそれぞれの場所に建てられた祠は地元の信仰を反映しており、地元で最も有力な神々を称えて建設、装飾されている。多くの司祭が旅の祠はエセリウスに直に繋がる導管であると信じ、定命の者が死ぬとその魂が最寄りの旅の祠へと導かれ、そこである種の魂を冥界に運ぶ者または魂の護衛と出会い、死後の世界へと導かれるとしている。神秘的な事象であるゆえに学術的証拠が得られるものではないが、タムリエル中の多くの異なる信仰においてこの考えが支持されているのは印象的である。

誰もが知るとおり、天の星とはムンダスの穿孔からエセリウスの魔法の光が輝いているものである。コルヴス・ディレニ卿は、ムンダスがエセリウスの反射であるから、タムリエルの祠の位置が夜空の星の形と一致しているという理論を立てた。しかしながら、この理論を検証するにはタムリエルにあるすべての祠の総合的な地図が必要であり、検討するには困難な仕事であるため、この仮説が本当ならば、証拠は別の情報源から得るしかない。

コルヴス卿は高名な召喚師でもあり、今では魔術師ギルドでも人気がある「ポータル」の呪文の基本を考案して広めた(彼の仕事は「移住者」と呼ばれるアイレイドの妖術師の先駆的な研究に基づいていた。だがそれはまた別の話である)。コルヴスは、その方法さえ分かれば、祠を常置のポータルネットワークとしてタムリエルを素早く移動するために使える、という理論を立てた。彼はそのような「高速旅行者」は何らかの方法で祠に同調する必要があり、そうすることで祠はその「交点」を旅人の「滞在の網」に加えると推測した。

しかし、その方法を学ぶには、定命の者の魂が一時的または永続的に「ムンダスから解放され」なければならないと、偉大なディレニの魔術師は考えた。このフレーズが意味するところはまったく分からないし、コルヴス卿が理解していたとしても、どの回顧録にもその意味は説明されていない。ディレニの塔にあるコルヴス卿の作業所に残されていたノートを研究した結果、彼はこの理論の証明と実行に成功できず、やがてこの研究を放棄してコロンの強制召喚の様々な変化形を完成させる作業に戻ったと考えられる。

境界の橋Liminal Bridges

アリノールのカミロンウィ 著

超体斜媒体の持続的作用が欠落する加速された物体、または実体の越閾通過は不可能であり、また可能であったとしても、瞬間的な移動対象の逆行を招く。閾の越橋周囲貫通のみによって、無限小期間を超える通過を果たすことができる。

理論上、他超体斜媒体の存在はあり得るが、唯一既知の持続的越橋周囲貫通を可能とする越閾秘宝は印石である。印石はデイドラ印の神秘的な碑文によって多次元のアーティファクトに変形した疑似水晶モルフォリスである。魂石のような一般的なモルフォリスは自然界にて発見できるかもしれないが、印石の作製に用いられる外来のモルフォリスはオブリビオンの空間の狭間でしか発生せず、デイドラの支援なくしてはその探査も確保も行なえない。

従って、超体斜媒体に必要なモルフォリス、およびデイドラ印の入手はデイドラの主との交流、および交易なくしては不可能なため、越閾技師は召喚の実務知識を培う必要がある。技師に十分な祈りに関する能力があるのであれば、召喚用に作られた付呪品を代用することも可能である。デイドラの主との交流、および交易は、秘伝的ではあるが確立された習慣であり、本論文が示すべき内容には該当しない(1)。

さて、印石が入手されたと仮定する。越閾技師はまず、デイドラ印を受領するためにモルフォリスの準備を行う必要がある。

太陽の光、および外気をすべて遮断し、白石で作られた天井と壁、ならびに黒いタイルを張った床を備える部屋を技師に準備させる。この部屋の全表面はエーテル溶媒に浸した虚無の塩の溶液で儀式的に清められなければならない。

モルフォリスを受けるための器を乗せた、正方形のテーブルを部屋の中央に設置する。4本のつり香炉にはゴーヴィックス、およびハラーダによって複合された香を準備する。技師は昼夜平分時に器のなかにモルフォリスを入れ、夜明けから中断することなくその日の日没まで「秩序の本」の儀式を詠唱する。

その後、技師は浄化されたモルフォリスを、彼からの碑文を受け取るためにデイドラの主へ差し出す。デイドラの主の印を刻み込んでもらった後、モルフォリスは神秘の力を採取、貯蔵する強力な秘宝、真の印石となる。様々な観点から魂石に類似するが、これはさらに大きな規模である。そして、閾の越橋周囲貫通を支援する付呪の持続に不可欠な、莫大な神秘の力を供給するにはこの印石を必要とする。

オブリビオンへの門を開くには、技師が呪文または付呪を用いて、印石に印を刻み込んだデイドラの主と直接交信する必要がある。デイドラの主と技師は連帯して召喚の契約を行使し(2)、技師が印石を発動させる。これによって、ムンダスとオブリビオンの間に一時的なポータルが開き、印石は即座に閾の障壁を超えて、印が刻まれた場所へと移動する。その選ばれた場所にある閾の障壁の強度によっては、このポータルが開き続けている時間は短い可能性がある。今までの報告の中では数分が最長の開門期間であるため、これらの門の実用性は非常に限られている。

(1)興味を持った生徒はアルブレット・セオファンス・ボンビディアスや秘術師ガレリオンの著作物を参照することを勧める。
(2)召喚の契約に関する例はセリオンの「最も神秘的盟約の本」、またはラリバラーの「11の儀式形態」の中に参照個所がある。

現実とその他の虚実Reality and Other Falsehoods

幻惑と変性を混同するのは簡単である。両方の魔法の分野がそこにないものを創造しようとする。違いは自然の法則にある。幻惑はそれにとらわれないが、変性はとらわれる。ゆえに変性の方が弱い魔法であると示唆しているようだが、これは真実ではない。変性は誰の目にも明らかな現実を作り出す。幻惑による現実は術者と相手の心の中にしかない。

変性を習得するには、まず現実は虚実であるということを受け入れる。そのようなものは存在しない。我々の現実とは、より偉大な力が気晴らしに我々に押し付けた認識にすぎない。この力を神と呼ぶ者もいれば、神を越えたものだと言う者もいる。魔術師にとってはどうでもいいことだ。肝心なのは否定しようのない方法で表現された訴えだ。それは屈辱的にならずに執拗でなければならない。

変性呪文をかけることは、現実を放置するより要求どおり変えた方が楽であると、偉大な力を説得することである。この力に感情があると思ってはならない。我々の推測では、それは風や水のようなものだ。永続的だが思慮深くはない。風や水の管理と同じように、あからさまな抵抗よりも流用の方が簡単である。呪文を微妙な変化として表現すれば、成功の可能性は高まる。

古き習わしThe Old Ways

重大で誠実な助言に関する習慣と哲学

ロアマスター セララス 著

古き習わしを知る我々にとっては、無知な者たちには目にすることすらかなわない霊的な世界の存在は周知の事実である。ちょうど、王国に住みつつそれを支える政治的なやりくりを知らぬ者が新たな税や戦の準備を偶然の不運と誤解するのと同じように、多くの者は洪水や飢え、そして乱心に対し無理解かつ無力なのである。これは嘆かわしき事態であり、偉大なるクイレアン・ダルニザーンがこぼされたように、「無知の力は黒檀をも硝子のごとく砕く」の一例に他ならない。

ムンダスの目に見えぬ糸を動かすこれらの霊的な力の根源とは何であるのか?アルテウムでは学び始めて間もない者でも、それらの霊的存在が我々の祖先であり、その祖先もまた生前は自分たちの祖先の霊を不可思議に思っており、これは元祖であるアカリアイにさかのぼるまで繰り返されてきたことなのだと知っている。凡人がすがるデイドラや神々も、優位な存在であった人々がその力および情熱の強さゆえ、来世において霊となった後も強い影響力をもち続けているだけのことなのである。

確かにこれが我々にとっての真実であり、宗教である。だが我々が下等な者たちに厳格で信心深き助言を与える聖なる務め、セリフルンセイに際しては、どのように我々の糧となるのであろうか。

第一に、善人に強大な力をもたせることと、力のある者を善人たらしめることの必要性はどちらも容易に理解されうることである。我々は強大な暴君が成し得る複数の脅威を認識している。残虐性はデイドラのボエシアの糧となり、憎悪はデイドラのヴァルミーナの糧となる。とりわけ悪意のこもった行いをした後に死んだ場合、オブリビオンで権力の座についてしまう可能性がある。何よりも問題となるのは、他の悪人にも力を渇望させ、他の支配者にも悪行に手を染めさせるよう誘う存在となってしまう点である。これをふまえ、我々はこの類いの暴君を扱う際の根気良い取り組み方を編み出した。対象は力を奪われ、辱められ、富を奪われ、自由を奪われるべきである。暗殺や戦争を提案する声もあるかもしれないが、後者は霊的には無意味であるうえに、莫大な費用がかかり、残虐な暴君自身のみならず無実の者たちにも同等の苦痛を与えることになってしまいかねない。否、我々の身上は情報を集めることであり、誇り高き交渉役となることであり、反乱を扇動することではないのである。

ならば我々の助言は何故、信心深きものたりえるのか。それは我々が唯一、古き習わしに忠実だからである。物理世界で目を見開いておくのと同時に、霊的世界のことを忘れないよう常に心がけるのが肝要なのである。モアウィタの儀式を薪木の月の二日目に行い、ヴィギルドの儀式を栽培の月の一日目に行うことは、有益な霊を力づけ、不浄な霊を無力化するのに不可欠の方法である。そこで、我々はどうやって助言の対象と、アルテウム島の両方に対して忠誠を保ち続けることができるのか。賢者タヘリタエの言葉がこれに対する最も的確な答えとなっている。「ムンダスにおいては、紛争と不均衡こそが変化をもたらすのであり、変化とは十一の力の中でも最も神聖なるものである。変化とは焦点も根源ももたない力である。貪欲、大食、怠惰、無知、偏見、残虐…(タヘリタエはここで百十一の無駄を全て列挙している)などをもたらす変化を変化を薄め、美徳、美しさ、喜び、そして啓発をもたらす変化を奨励することは、戒律あるサイジック(啓発されし者)の務めなのである。よって、信心深き助言者が仕えるべきは唯一、自身の精神なのである。サイジックが助言を与える相手が悪行に走り、エグニスル(悪しき変化)をもたらし、助言を聞き入れようとしない場合、あらゆる手段を用いてエグニスルを相殺するのがサイジックの務めである(補足的に強調)。

古き習わしを学ぶ者はいずれかの主君と盟約を結ぶことができるが、そのような関係には相応の危険が伴う。賢明な判断が望まれることをここでも強調しておく。主君が賢明なる助言を受け入れず、サイジック(タヘリタエによる古風なこの語を使うこととする)に古き習わしに反するような行動を求めた場合、選べる道は僅かである。サイジックは止むを得ず命令に従い、自らが生涯を費やして戦うと決意した闇の力の餌食となることもできる。サイジックはまた、主君を見捨て、自分自身およびアルテウム島に不名誉をもたらし、二度と島に戻れない身に甘んじることもできる。あるいはサイジックは、単純に自らの命を絶つこともできる。

魂縛に関するギルドの覚書Guild Memo on Soul Trapping

魔術師ギルドの覚書:機密事項、賢者のみ閲覧可

アークマギスターの名誉教授、ヴァヌス・ガレリオンより 著

ギルドホールにおける呪文の人気や流行に注目している者なら、「魂縛」の訓練に対する最近の関心の高まりに間違いなく気づいているはずだ。魔術師仲間の間で現れては消える他の一時的な流行と違い、この流行に関しては不安と危険を感じる。

魂縛が魔術師ギルドのメインカリキュラムに組み込まれず、最も経験があり信頼できる魔術師にのみ教えられ、その上で特定用途にだけ使用が許されているのには理由がある。第一に、それが厳密には死霊術の一部であり、それだけで非難されるものであるということ(前述のとおり、管理された条件下での特定用途の使用を除いて)。第二に、特に感情のある定命者の魂縛に使われた場合、実質的に悪用を招く魔術であること。これは世間が最も恐れる類の魔術であり、その結果、各地域で組織立った魔法教育が禁止される恐れがあり、もしそうなればギルド設立のための尽力が無駄となってしまう。

どんな市場やバザーでもいわゆる「秘術師」が様々な大きさの魂石を売っているほど、魂縛がタムリエルの魔術師の間でもはや常識であるという事実に関しては、不道徳なマニマルコと黒き虫の教団に責任がある。死霊術を一般的でほぼ無害なものに見せることは、奴の計画の一部である。タムリエルの一部地域、特にシロディールでは、堕落した死霊術の実施が正当で合法な魔法訓練として受け入れられてさえいる。この有害な変化についてかつての指導者イアケシスなら何と言うか、考えたくはない。

それではどうすればいいのか?発生し続ける虫の教団を根絶する合間にこの件について熟考してきた結果、現時点で魂縛を管理する唯一の方法が、この魔術の併合であると考える。よって魔術師ギルドが様々な魂縛の魔法を成文化・体系化して幾つかの信頼できる呪文から成る公的なグリモアを作製し、そこに記されたものだけが合法かつ公認の魂縛の方法であると仲間に教えることを提案する。

さらに、魂縛の対象としてすべての魂を2つの階級に分けることを提案する。獣や動物から捕らえられたより小さなエキスである合法の「白い」魂と、感情のある定命者から抽出された非合法の「黒い」魂と。我々は白い魂を捕らえる呪文だけを教え、生徒には大きな魂石を感情のある者に使うことを禁じる。

この二分法が魂縛に関する全タムリエルの基準となるには、幾つもの世代交代と虫の教団の鎮圧が必要となるだろう。だが、魔術師ギルドがタムリエルを長い目で考えることができずに、他の誰ができるというのだ?

呪文の手引きManual of Spellcraft

魔法使い見習いのあなたへ

最強とうたわれる魔術師もかつてはみな初心者だったのだ。彼らに共通しているのは幼いころから魔法に親しむうちに興味が芽生え、潜在能力が開花し、何年もかけて修練を積んでいったことだろう。恐れを知らない心でスキルを磨き、新しい呪文を学び、精神と肉体の鍛錬に明け暮れ、のちに誰からも一目置かれるような比類なき力を身につけたのである。

タムリエルの魔術師ギルドは知識と魔力を求める者が最初に立ち寄る場所であり、それはいつの時代においても変わらない。一般向けの魔法サービスを提供しながら幅広い魔法の販売も行っており、魔法を志すものなら何よりもまず足を運ぶべき場所であろう。個人の魔法販売業者も見つかるが、品ぞろえの豊富さでは魔術師ギルドにとてもかなわない。

呪文の多くは初級魔術師の手には負えないものだ。たとえば姿を消す魔法は難度が高いため、見習いレベルの術者ではとても使いこなせない。どの系統であっても修練を積んでいけば実力が伸びていき、充分な力が身につくころには、さらなる高みを目指したいと感じるようになるだろう。初心者は魔法がうまく使いこなせないからといって挫折するのではなく、そこに課題を見つけることで、負けるものかと意気に燃えてもらいたい。落ち込んだりせずに、いっそう高度な技術を追い求めてほしい。吸収の呪文、下級デイドラや強力なデイドラ、それにアンデッドを召喚する呪文(ただし、研究目的においてのみ許される)、火炎や寒気や雷撃といった魔法から身を護る呪文など、学ぶべき上級魔法はいくらでもあるのだから。

特定の系統を極めたい魔術師は、どんどんその系統の呪文を身につけて、試せるチャンスがあれば貪欲に活かすとよいだろう。専門性を求める魔術師も、まんべんなく学びたいという魔術師も、魔術師ギルドに会員登録しておくことをお奨めしたい。実績のあるギルドのメンバーなら、一般向けのサービスだけでなく、上級の呪文や付呪といったメンバー限定の特別サービスも利用できるようになる。こうしたサービスは社会そのものを危険にさらしかねないため、魔術師評議会が認めた上級メンバーだけが使えるように制限されているのだ。

魔法の扱いについてもっと知りたいという市民は、地元の魔術師ギルドの賢者が相談に乗ってくれるだろう。

提案:魔法の流派Proposal: Schools of Magic

ダガーフォール魔術師ギルドのガブリエル・ベネレ 著

グウィリム大学の元教員として、実践的教育学の問題に興味を持ち、魔術師ギルドの魔法使い入門者用教育カリキュラムの見直しにこの2シーズンを費やしました。この入門書は数世紀にわたって集積されたもので、その結果やや無秩序で整理されていません。

我々の教科書の再構成の見本を求めて思案していた時、魔法を8つの異なる学科に分けて教えるモロウウィンドのシャド・アツーラ大学のカリキュラムを見つけました。もっぱら魔法が変わりやすい技術であることから、各学科または魔法の「分野」の区分はかなり恣意的であるものの、呪文を魔法の分野に分けることで、魔法の基本を簡単に理解するための構造を生徒に提供できるという利点があります。シャド・アツーラでは我々の入門者プログラムの半分の時間で、素人の魔術師に魔術を実践的に理解させて卒業させるという事実が、この仕組みの価値を証明しています。

この理由から、我々もシャド・アツーラの訓練を導入し、魔術師ギルドの教育プログラムを以下の魔法の分野に再編成することを提案します:

錬金術:物質のあらゆる形状、その効果、結合、再結合の摩訶不思議な美点に関する研究。薬、霊薬、魔法の水薬の調合を含む。

変性:魔術師の意思を直に課すことで、その場の現実を歪める。麻痺、水中呼吸、水面歩行、開錠、火炎マントなどの個人属性シールドに関する呪文を含む。

召喚:オブリビオンまたはエセリウスから魂を召喚・呪縛する。魂縛、デイドラや他の生物を呼び出す呪文、それらを追い払う呪文、魔力の武器や装備の召喚、そして(分類として記す)禁じられた死霊術であるアンデッドの死霊作成、召喚、操作を含む。

破壊:大抵の場合自然の性質を持つ直接的な力で物質的結合を裂く。炎、氷、電撃、分解のダメージを与える呪文、そしてエキスや個人能力を枯渇させる魔法を含む。

幻惑:自身または他者の知覚を変化させる。発光、透明化、恐怖、激昂、沈黙の呪文、そして士気や服従に影響する魔法を含む。

秘術:魔法そのものの性質を変えるのに使われる呪文の類。呪文とそれに力を与えるマジカの両方を解呪または吸収する効果、そして念動力(他の分野同様、ここにも当てはまる)を含む。

回復:破壊の反対であり、ダメージに抵抗し、ダメージを受けた素材を編み直すことで完全性を回復する魔法。結界、治癒、疫病や毒の治療、身体的強化、アンデッドの聖血(強制的浄化作用)を含む。

精神:意志と個人の心の状態に影響する魔法。他者を鎮静化または魅了する呪文、魔法の反映または魔法への抵抗、そして重力の個人的拒否である空中浮遊を含む。

経験を積んだ魔術師であれば、この分類の恣意性を直ちに認識するでしょう。やがてこれらのどれかを統合させ、その呪文を他流派に割り当てるべきだと考える時が来るかも知れません(精神はそのような併合の有力候補です。もしかすると神秘も)。しかしながら、シャド・アツーラはこの分類で上手くいっているようです。我々も暫定的にそのまま採用し、実践しながら改善していくことを提案します。

天空からの魔法Magic from the Sky

(ヴァレニア版)

ゼロリ・ジャロル 著

古のアイレイドは、ニルンは地、水、空気、光の四つの基本元素から構成されていたと考えていた。その4元素の中でも星の光が最も崇高な元素であると確信していた。星は魔力の源であるエセリウスの高みへと我らを導く。したがって、あらゆる魔力の中でも星の光はもっとも強力であり高貴な光である。

時折、エセリウスの破片が天空から降ってくることがある。人々は、これらの破片を「流星」と呼び、時々これらのエセリアル片がニルンに付着していることがある。これら欠片の中でも頻繁に見られる種類は「隕鉄」であり、この鉄は鍛冶や付呪師が魔法の武器や防具を鍛造する際に珍重される。また、隕鉄はシロディールの至るところで見られる古のアーティファクト、「アイレイドの井戸」の主要素でもある。

他にも、さらに希少なエセリアル片に「流星硝子」と呼ばれるものがある。ウェルキンド石やヴァルラ石などの珍しいアーティファクトはこのような破片から作られる。

アイレイドの井戸はシロディール全土に散らばっている。アイレイドの井戸はアイレイド都市や入植地のどれとも関連していないため、これらの散在は謎である。これらは、何らかの方法で星の光からの魔力を吸収していると推定されている。また、根拠や裏づけは無いものの、これらは古くから受け継がれている魔力の線が交差する地点に点在していると提言する者もいるが、近代アルケイン科学はこのような力の線の存在を裏づけるような証拠を発見していない。

魔法の素質がある者は、アイレイドの井戸からマジカを引き出し、自らの魔力を回復できる。儀式やアルケイン知識を必要としないことから、これらの井戸は魔術に精通していない人のために作られたことを示唆している。井戸は空になると、魔法的な深夜にその魔力を補充する。充填されると空に向けて魔力を放射するように見えることから、これらの井戸は宗教的か魔法儀式的な重要性も兼ね備えていると理論づける者もいる。ひょっとしたら天空に魔力を返上する手段なのかもしれない。

ウェルキンド石(「天空石」や「天井石」を指すエルフ語。文字どおり「天空の子供」の意)とは、付呪された流星硝子の破片であり、どうやらマジカの保管装置としての役目を務めるらしい。魔法の素質がある者はこのような石から自身の魔力を回復できる。しかし悲しいかな、これらの石に魔力を充填する方法はアイレイドとともに失われたのかも知れない。現在、これらの石は使用後に崩れ去ってしまう。

大ウェルキンド石とは付呪された巨大な流星硝子である。学者たちはアイレイドの都市すべての中心では、この大ウェルキンド石が入植地における魔法付呪の源であったと考える。これらの大石はより小さな石とつながっていて、その魔力の回復や維持を行っていたとも考えられている。ともかく、今となっては知られているアイレイド都市の遺跡からすべての大ウェルキンド石が盗掘によって持ち去られているため、標本は一つも残っておらず、研究は不可能である。

アイレイド遺跡にて発見されたもう一つの珍しい付呪品はヴァルラ石である。ヴァルラ石(「星の石」を指すエルフ語)は非常に強力で、未熟な者による多くの付呪品への魔力回復を可能にする。その大きな価値と実用性から、この品物も極めて希少価値がある。しかしヴァルラ石は小さく、容易に隠せるため、熱心な探検者であれば今でもアイレイドの遺跡にて時折見つけ出すことができるかもしれない。

アイレイドの井戸。ウェルキンド石。ヴァルラ石。そこで、驚くべきこれらの魔法付呪品のことをよく考えてみよう。アイレイドはより優秀な文化と種族であったと結論付けるべきか?彼らは工芸美術において我らに勝り、我ら第二紀の魔術師の微力を嘲笑う存在か?

否!アイレイドは確かに強力で抜け目がなかった。しかし、彼らは善良でもなく賢さがなかった。故に打ち破られたのだ。彼らの功績は希少で眩い宝を除き、ニルンから消え去った。古の都市は暗く空になり、亡霊や回廊を漂う魂が骨やちり芥に向かって憂うつな祈りを捧げている。