タムリエルの歴史

Tamriel History

アイレイドの碑文とその翻訳Ayleid Inscriptions Translated

〈告げ示す者〉ベレダルモ 著

以下の碑文は、実に長い年月と大いなる労力をかけて書き写され、解明が行われ、永久保存を目的としてここにまとめられたものである。

Av molag anyammis, av latta magicka.
「火から命。光から魔法」

Barra agea ry sou karan.
「知恵を鎧とせよ」

Agea haelia ne jorane emero laloria.
「痛みによって得た知識は、闇の時代において信頼できる道案内となる」(直訳すれば、「苛酷な知恵は知恵を会得した者を決して裏切らない」)

Nou aldmeris mathmeldi admia aurane gandra
sepredia av relleis ye brelyeis ye varlais.
「国を追われた我らが祖先11人は、川の流れとブナの木と星に、温かく迎えてくれる安らぎの贈り物を聞き取った」(「マスメルディ」は文字通り「故郷を追われて」を意味する)

Suna ye sunnabe.
「祝福し、祝福されよ」

Va garlas agea, gravia ye goria, lattia mallari av malatu.
「知恵の洞窟で、醜くおぼろげに、真実の黄金が輝く」

Vabria frensca, sa belle, sa baune, amaraldane aldmeris adonai.
「泡立つ波は、途方もなく大きく、力強く、威厳に満ちたエルフたちを歓迎する」

ヴァレン皇帝の悼辞Eulogy for Emperor Varen

元老院議長、アブナー・サルン卿 著

ヴァレン皇帝!なんと短く私達の空を輝き抜けたことか、まるで暗黒の中で私達の道を照らすために輝き出た、空の金属片のようだった!

高潔なヴァレン!敬虔なヴァレン!コロヴィア人爵の息子、肉体の優れたパラゴン、戦略的でずる賢い狡猾な狐、あなたは私達の帝国をレマン時代の栄光に戻そうと努力した。あなたは私達に道を示した。ただあなたの臣民である私達が、あなたのもたらした試練に値していたなら!

レオヴィックがルビーの玉座に鎮座した時、彼の奇行にもかかわらず、あなたは仲間のコロヴィア人に皇帝に対して忠誠であるよう強く勧めた。あなたが「もう十分だ!」と叫び正義の剣を抜いたのは、悪意ある評議員達に騙されたレオヴィックがデイドラ公の崇拝を公認し、帝国での保護を宣言した時だけだった。

そしてコロヴィア人があなたの後ろで立ち上がった!アッシュ砦での帝国の部隊による最初の敗北の後、あなたはコロールの帝国軍を指揮し、レオヴィックをハートランドに退散させた。シロディールは救済者を得た。そしてレマンの真の継承者がついに現れたという噂が広まった。コロヴィアの州はあなたのドラゴンの旗のもとで一体となって立ち上がり、あなたは東へ進軍した。

次の戦争はつらく苛酷で、驚くべき勝利と、物凄く巧妙な策と、そして双方ともの逆転で溢れていた。リーチの民の援軍とデイドラの魔法に支援された帝国軍の力は、打ち負かすのがほとんど不可能であった。だがヴァレン、あなたは正しき力を味方につけた!ついに、あなたは帝国宮殿を勝ち取ろうと争い、そして帝国の玉座の間でレオヴィックを打ち負かした。

だが悲しいかな、私達のヴァレン皇帝、あなたはとても短い時間だけ王者のアミュレットを身に着けた。あなたの民をまた偉大にしたいという野望が、触れずにおくのが最良である神々の秘密に触れさせたと言われている。ああヴァレンよ、あの嵐の夜、震える地に、なぜ私達を置いて行ったのだ。そしてどこへ行ったのだ?きっとあなたは死んだのだ、もしまだ生きているのなら、民を希望が奪われたままにはしておかないだろうから。

ヴァレン皇帝、私達はあなたを忘れない。そしてどうにか進み続けようと奮闘し、あなたの輝かしい手本に従って生きようとする。だが再びあなたのような人物に会うことはないだろうと確信している。

オルシニウムへの帰還Return to Orsinium

移住夫人、ウウリタグ・グラオルシニウム 著

北部タムリエルの山々のオーク達へ告ぐ。あなた達の首都はオルシニウムにある。そして、あなた達を故郷へ呼んでいるのよ。

そうよ!上下ロスガーの間の断崖の上にあるオークの都市は、再び真っ直ぐ、誇り高く立ち上がるわ!私達の首都に——つまりあなた達の首都よ!——過去の栄光を取り戻させるために、伝説の鉄に覆われた壁の後ろで、それぞれのクランの牙を持つもの達が働くわ。再び商人がハグラーズ・ブラフに殺到し、戦士達はファイターズ・アンヴィルで鍛錬し、そしてエヴェレンバー鍛冶場の煙突から煙が脈打つ。マラキャスの崇拝者達はグリーヴァンス聖堂に群がり、キノコの農民はダーク・アバンダンス洞窟の中で堆肥の手入れをし、そしてゴンドラがジュグラーを往復するの。

私達は堅牢な門を再建し、そして再び製錬機、槌、添加物が敵意ある世界の打撃から街を守るでしょう。スカープ砦の彼の玉座から、クログ王はあなた達に歓迎の手と試練の拳を差し伸べる。あなた達は新しくなったオルシニウムの仲間達に加わり、そして誇り高く世界に立ち向かうに相応しいオークかしら?さあ!オルシニウムに来るの、そして泥鉄鉱エールのフラゴンをクログ王が復活したタムリエルのオーク達へ掲げる時、私達に加わるのよ!

ニベネイのサルン家House Tharn of Nibenay

シロディールの貴族達、第十七巻

オピウス・ヴォテポリクス伯爵 著

シェイディンハルのサルン家はニベネイ北部の最も名高い貴族のひとつであり、第一紀の初期以来、彼らはその地で広大な私有地を保持してきた。彼らが言うには、彼らの家は第一紀と同じくらい古いだろうとのことである。系図の研究家が指し示す通り、「サラヌス・イ・レッデハンド」が第一紀200年のタムリエル論文集に述べられている。アレッシアの奴隷反乱より以前の当時、この祖サルンはどうやらファナカスのアイレイド・エルフ、つまり今日のシェイディンハル北部丘陵地の採掘要塞に雇われた奴隷監督官であったらしい。アイレイド人は商業的な記録を赤いインクで残したことで知られているという事実に基づき、サルンの歴史家はこの「レッデハンド」はおそらく教養があり何らかの書記的役割で雇われたのだろうと結論付けている。詳しく述べるために、このサラヌスを悪名高き「切断者サーハン」と同一視するレディ・エウフェミア・グラバーの第一紀227年の学説に触れようと思うが、この説は第二紀541年にアブナー・サルン議長によって白金の塔の下の地下室で発見された「先駈聖人達の巻物」の本文によって完全に誤りを証明された。

一族の言い伝えで、サルン家は「剣を研ぎ死体を処理する者」としてペリナル・ホワイトストレークに仕えたヴィリウス・サルンという人物と共に、聖アレッシアの奴隷反乱において活動したとしている。だが歴史的記録に明確に確認される次のサルンは、第一紀1188年から死去(没年不明)までマルクの選ばれし者の最高位聖職者であったアレッシア教団のフェルヴィディウス・サルンである。フェルヴィディウスは、今日では「十七の慈悲を非難する説法」の作家として有名である。

尊きサルンの隊長は、2300年代の正道戦争で両軍において戦った傭兵部隊を率いた。戦闘が終わった後、ターピス・「方向転換」サルン将軍は現在一族が故郷と呼ぶ広大な所有地を掌握した。シェイディンハル郊外の伯爵の称号を受けた時、ターピスはベンドゥ・オロ提督の姪と結婚し、多くの子孫を残した。

レマン帝国の間、サルンは何世代も立派に素晴らしく仕えた。その中には帝国軍の魔闘士の伝統を蘇らせたレグルス・サルン、そしてカスタブ皇帝の刑罰大臣、エクコレ・サルンも含まれている。

そしてその流れは、現在のサルン家の人々に続く。もちろん何よりもまず、一家の長で元老院の長年の議長、アブナー・サルンである。苦難と皇帝の変遷の時代を通して、我々帝国文明が必要とする継続性と堅実性を提供するため、議長はいつもそこにあり続けた。

次にシロディールの摂政女帝であり、そしてアブナー・サルンと彼の7番目の妻であるブラシアとの娘、クリビア・サルン女王陛下に敬意を表す。クリビア女帝は、述べるまでもないが2人の皇帝の妻、レオヴィックとヴァレンの配偶者である。

わずかに影響力が弱いのが、議長の異母妹であり、第二紀576年降霜の月のクーデター以来リンメンの女王であるユーラシア・サルンである。そして彼女の息子、つまり滑稽でチャーミングなジャヴァド・サルンの存在が無ければ、帝都の社交行事はどうなっているだろうか?

まさに、サルン家は現代のニベン人貴族の典型である。我々は何が起ころうとも、彼らが未来に渡って我々とともにあり続けることだけを願う。

(メモ:十分に仰々しいか?それと、魔導将軍セプティマについて触れるのを忘れた。そうしたら特別手当Aをもらえるに違いない。確約されている。)

開拓、征服Frontier, Conquest

開拓、征服、順応:シロディールの社会史

グウィリム大学出版局、第二紀344年

歴史家によっては、人間のタムリエル入植をスカイリムのノルドの軍事拡張政策の一環としてとらえる傾向にある。実際には、スカイリムが興る以前から人間はタムリエルに入植し、そのほぼ全域に散らばっていた。彼らは「ネードの民」と呼ばれ、その中にはシロディール人の始祖、ブレトンの先祖、ハンマーフェルの原住民が含まれており、ひょっとすると今はなきモロウウィンドの人間も含まれていたかもしれない。厳密に言えば、ノルドは「ネードの民」の一派でしかなく、タムリエルの先住種族であるエルフと平和的に共存する道を見つけられなかった唯一の種族である。

イスグラモルがタムリエル最初の人間の入植者でないことははっきりしている。実際のところ、イスグラモルはアトモーラから移り住むという長い伝統にのっとって、「帰還の歌」にあるように「アトモーラの内乱から逃げようとしていた」のである。イスグラモルがやってくるまでの数世紀のあいだ、タムリエルはアトモーラにとっての「安全弁」であったのだ。不平分子、反体制派、反逆者、土地を持たない若者たち、その誰もがタムリエルという新世界を目指して、アトモーラからの困難な横断をやり遂げた。最近の考古学的な発掘調査で、ハンマーフェル、ハイロック、シロディールへの人類最初の入植は神話紀800~1,000年であることがわかった。これは、ハラルドよりも前にいたとされる12人のノルド王が歴史的に実在したと想定しても、イスグラモルがやってくる数世紀前のことである。

「ネードの民」はエルフの土地では少数派であるため、先住種族とは平和的に共存するより道はなかった。ハイロックやハンマーフェル、シロディールでは、それにおそらくモロウウィンドでもそれにならって「ネードの民」は繁栄し、神話紀の最期の数世紀に勢力を拡大していった。「帰還の歌」に歌われるように、こうした順応はスカイリムでのみ失敗した。これは推測だが、アトモーラからの援軍がそばに控えていたため、ノルドの始祖たちはスカイリムのエルフの権威に屈する必要はないと感じたのではなかろうか。実際のところ、初期のノルドの年代記には、歴史上最初のノルド王とされるハラルド王(第一紀113~221年)が中央集権国家としてスカイリムを統合すると、「アトモーラの傭兵は故郷に帰還した」と記されている。細かい経緯はどうあれ、パターンは決まっていた。スカイリムでの拡張が軍事的に進められ、征服によってフロンティアが延びるとそこへ人間が定住していくのだ。この地での人間とエルフの領土の境界は比較的はっきりしていた。

それでも、この「紛争地域」を飛び越えて、他のネードの民はエルフの隣人と混じりあっていった。第一帝国のノルド軍がついにハイロックとシロディールに進軍したとき、彼らはブレトンとシロディールの始祖が既にエルフに混じって暮らしていることに気づいた。実際のところ、ノルド人はエルフとブレトンを見分けるのに苦労していた。これらの二種族はそういうレベルまで混血が進んでしまっていたのだ。ノルド軍の到着によりネードの民とエルフのバランスは乱れた。ノルドがハイロックとシロディールまで勢力を拡大したのはわずかな期間(200年に満たない)にすぎないが、その影響は甚大であった。それ以降、この地域での実権はエルフから人間へと移っていったのである。

黒き虫の教団The Order of the Black Worm

魔術師ギルド報告書:黒き虫の教団

恐れていたことが起こりました、アークマギスター。黒き虫の教団は単なるデイドラの教団ではなく、それどころか我ら魔術師ギルドと競い地位を奪おうとする、死霊術師の一党です。

ちょうど魔術師ギルドが元サイジックのヴァヌス・ガレリオンによって創立されたように、黒き虫の教団も彼の最大のライバルで敵である元サイジックのマニマルコによって創立されました。両者はアルテウム島で育ちましたが、マニマルコが禁じられた死霊術法に手を出したためガレリオンはマニマルコを追放し、自称虫の王は単にタムリエル大陸に移動し、彼の忌まわしい活動を本格的に開始しました。彼はドラゴンプリースト達がどうやって彼らのドラウグルを虜にしたかを記述している隠された写本、死者の霊魂の召喚に関する古代アイレイドの石板、そしてシャリドール自身が破壊されたと思っていた頭蓋骨のクリムゾンブックを捜し出したことで知られています。マニマルコはデイドラの主達と付き合いがあることを自慢しており、そして吸血鬼の始祖、モラグ・バル自身とさえ取引をしていたかも知れません。

それからマニマルコは彼の冒涜的な伝承を広めることに着手し、無節操な魔術師達、見捨てられた魔女達、そして下劣なリーチの民を彼の死霊術ネットワークに参加させた。神々の修道士の教団と競い合い、もしくは嘲笑うために、彼は新しい教団を黒き虫の教団と呼びました。タムリエルのほとんどの範囲において、死者を立ち上がらせることは当然ことながら非道な行為であると考えられていたので、当初虫の教団は不法な組織として完全に秘密裏に運営されていました。だがマニマルコは、強力な死霊術師であることに加えて賢く狡猾な外交家であり、多くの地域において、彼が説得し、買収し、あるいは脅した権威者達は教団の活動に目をつむるようになりました。

シロディールにおいてはさらに悪いことに、虫の王は帝都を支配するサルンに対し、死霊術は合法的な魔術技法であり、黒き虫の教団は帝国王家の公認魔術顧問として今や魔術師ギルドに取って代わったと宣告するよう説得しました。

非公式に「虫の巣」として知られている代表的な下部組織は、「虫の隠者」の肩書を持つ死霊術師に率いられています。連絡手段はいまだ知られていませんが、隠者はマニマルコに直接連絡をします。隠者の支配下には、熟練した死霊術師、虫の戦士、そして虫の信者と呼ばれる従僕達がいます。新しい信者達は、忠実に仕える者達へ対する偉大なる力に魅かれ、そして皆、不死の痛みに誓って秘密を守ろうとするのです。

地方の陰謀は第二の報告書に記載しました。加えて偶然耳にした噂によると、現時点では未確認ですが、教団はスラスのスロード達との交渉を開始したそうです。私はさらなる情報を探し求めており、次の暗き月までにはさらに分かるかも知れません。

報告書は修行者クオリタティスにより調査され——アーケイが彼の魂をエセリウスへ導きますように——、そして死後、幻術師ブルサイルに編集された

戦士ギルドの歴史 パート1History of the Fighters Guild Pt. 1

第二紀283年、最高顧問ヴェルシデュ・シャイエは、帝国分裂の危機に直面していた。タムリエルに散らばる隷属国の反抗ぶりは新たな次元に到達し、公然と彼の支配に挑んでくるようになった。彼らは税金の支払いを拒絶し、軍を率いて各地の帝国軍に襲いかかった。ドーンスターの砦が陥落すると、シャイエは帝国評議会を招集した。ドーンスターの南にある会合地となった街の名前をとって、「バードモント会議」とでも呼んでおこう。その会議で、最高顧問は包括的かつ普遍的な戒厳令を宣言した。軍隊を解散しないタムリエルの王子たちには最高顧問の懲罰が待っていた。

それからの37年間は、タムリエルの暴力の歴史において、最も血塗られた時代となった。

王の軍をひとつ残らず叩きつぶすため、ヴェルシデュ・シャイエは自らの精鋭軍の多くを犠牲にすることを強いられた。さらに、帝国公庫の財源もほとんど使い果たした。それでも、彼は考えられないことをやってのけた。歴史上初めて、地上に軍隊が一つしかない、シャイエの軍隊しか存在しない時代が到来したのである。

いくつかの問題がすぐさま表面化した。それは、シャイエの偉業と変わらないほど衝撃的なものだった。シャイエの戦争は貧困を蔓延させていた。敗戦国もまた、軍資金を防衛費につぎ込んでしまっていた。農民も商人も生活の手段を粉みじんに破壊されていた。タムリエルの王子たちは以前のように税金を出し渋るのではなく、払いたくても払えなくなっていたのだ。

戦争で利ざやを稼いだのは犯罪者だけだった。地元の衛兵や民兵が消えうせた今、逮捕される心配もないまま、彼らは無法と化した土地の残骸を食い荒らした。シャイエが最後の部下の軍を破壊する以前からアカヴィリが懸念していた事態だったが、解決策はどこにもなかった。シャイエとしては、隷属国に軍隊を再組織させるわけにもいかず、結果として、かつてないスケールで無秩序が深まりつつあった。シャイエの軍は犯罪の増加を食い止めようとしたが、地元の犯罪組織は中央政権をみじんも恐れてはいなかった。

320年の幕開けとともに、ヴェルシデュ・シャイエの親類である「鉄宰」ディニエラス・ヴェスが、大勢の仲間を従えて最高顧問に謁見した。常備軍の代案として、利益を追求した、貴族が雇うことのできる傭兵の結社を作ってはどうかと提案したのが彼だった。雇用契約は一時的なものとし、契約料の数パーセントを中央政府が徴収する。そうすることで、シャイエの激痛のうち、二つは癒せるのではないかと。

結成当時はまだ、ツァエシ語で「戦士」を意味する「シフィム」と呼ばれてはいたものの、ここにおいて、後に「戦士ギルド」として知られるようになる組織が誕生したのである。

戦士ギルドの歴史 パート2History of the Fighters Guild Pt. 2

「鉄宰」ディニエラス・ヴェスは当初、アカヴィリだけの結社にすることが大切だと考えていた。彼がこうした信念を抱いていたことはどの歴史家も認めるところだが、その動機については意見が分かれる。古典的でシンプルな理論は、ヴェスは同郷人のことをよくわかっていて、信用しており、利益のために戦うという彼らの伝統がプラスに働くと踏んだからだ、というものだ。また、鉄宰と大君主のどちらもこの組織を利用して、五百年前に端を発するタムリエルの征服を達成しようとしたのだという、これまたもっともな意見もある。第一紀2703年にタムリエルを襲撃したとき、アカヴィリはレマン王朝に撃退された。そして今、最高顧問が権力の座につき、ディニエラス・ヴェスの策謀によってアカヴィリだけの現地軍が生まれようとしている。戦闘で成し遂げられなかったものを、忍耐力でまんまと成し遂げようとしていたのだ。多くの研究者が提唱するように、こうしたやり方はアカヴィルのツァエシにとって、伝統的な戦略なのである。なにしろ彼らはいつでも時間を味方につけられる、不死の蛇人なのだから。

だが、それらは空論でしかない。シフィムはシロディールと隣接するいくつかの王国で地位を確立したものの、あっという間に現地の戦士の必要性が高まった。問題の一部は単純に、なすべき仕事をこなせるだけのアカヴィリがいなかったということだ。それから、配属された地域の地理や政治を蛇人が理解しないという問題もあった。

シフィムがアカヴィリだけでは成り立たないことは明白だった。そして、その年の中頃までに、戦士兼妖術師、ならず者、騎士のノルド3人が組織に加わった。

そのノルドの騎士は、名前が時間の流砂に埋もれてしまったが、腕のいい鎧職人でもあった。それにひょっとすると、ディニエラス・ヴェスを除けばもっとも組織の発展に貢献した人物であったかもしれない。しばしば述べられてきたように、アカヴィリ、とりわけツァエシは鎧よりも武器についての造詣が深い。彼らが鎧を着ることはなかったとしても、騎士は他のメンバーに敵の鎧の弱点を説明し、ポールドロンやグリーヴには関節がいくつあるかとか、ゴーゲットとグリドシュリム、パレットとパスガード、陣羽織と草ずりの違いについて説いて聞かせたのだった。

こうした知識のおかげでシフィムは、その心もとない戦力からは考えられないほど効率的に、賊どもを一掃するための長い戦いに勝つことができた。歴史家はこんな冗談すら口にする。アカヴィリが第一紀にノルドの鎧職人を雇っていたら、侵略は成功しただろうに、と。

シフィムに加わった3人の部外者が活躍したことで、現地メンバーの加入に拍車がかかった。その年度末までに、シフィムの活動は帝国全域に広がっていた。若い男や女が大挙として組織に加わった。その理由は、生活が苦しいから、ひと暴れしたいから、冒険に出たいから、犯罪のはびこる隣国を助けたいから、などなど、十人十色だった。彼らは訓練を積み、悩みを抱える貴族を救うべくすぐさま派遣され、管轄区域における衛兵や戦士としての役割を担った。

犯罪撲滅や怪物退治におけるシフィムの目ざましい活躍ぶりが呼び水となって、最高顧問ヴェルシデュ・シャイエは帝国の承認を求める他の組織の代表者も手厚くもてなすようになった。魔術師ギルドは、比較的早い時期に結成されてはいたものの、帝国から疑わしく思われていた。第二紀321年、最高顧問は「ギルド法案」を採択し、魔術師ギルドは帝国公認のギルドとなった。この法案では他にも、鋳掛師、靴職人、娼婦、代書人、建築家、酒造家、ワイン商、機織工、ねずみ捕獲人、毛皮職人、料理人、占星術師、治癒師、仕立師、吟遊詩人、弁護士、それから戦士であるシフィムも公認ギルドとなった。ただし、勅許状にはシフィムとは記されておらず、すでに市民のあいだに浸透していた呼称を立てる形で、「戦士ギルド」と呼ばれるようになった。どのギルドも、第二紀からその後にかけて新たに認められた他のギルドも、タムリエルの人民に対する価値を認められ、シロディールのもとで保護され、奨励されることになっていた。対価を払わなければ勢力を広げることはできなかった。ギルドの存在により帝国の基盤は強化され、その財源は再び潤っていった。

ヴェルシデュ・シャイエの死後間もなく、ギルド法案の採択からわずか3年後、世継ぎのサヴィリエン・チョラックは現地軍の再編に着手した。戦士ギルドはもはや地方貴族の主力部隊ではなくなっていたものの、その存在価値は揺るぎないものとなっていた。過去においても、私的財産を求めた力のある個人は確かに存在したが、ディニエラス・ヴェスこそが、近代における冒険ブーム、つまり、富と名誉をつかむことに人生を捧げる男たちや女たちの「奔り」とも言える存在であると、多くの歴史家が述べている。

それゆえに、誰もが戦士ギルドに感謝しなければならない。そのメンバーだけでなく、対価を払えば法の範囲内で強い戦士を提供するというギルドの公平なる方針に助けられてきた人々も。戦士ギルドがなければ、どんなギルドも存在しなかったのだから。それどころか、自立した冒険家という生き方すら存在しなかったかもしれないのである。

第二次アカヴィリ侵攻The Second Akaviri Invasion

資金要請

ソリチュード、吟遊詩人大学の王家歴史家、イングマエア・レイヴンクィル 著

陛下、我々西部のスカイリムのノルドは幸運にも、近年のタムリエルへのアカヴィリ襲来へ巻き込まれることを免れましたが、それでもなおこの奇妙な出来事を理解しようとすることは大切です。とりわけそれが東部スカイリムにいる我らが疎遠になった同族を、我々の古代の敵、油断ならないモロウウィンドのダークエルフとの異様で無分別な同盟に導いたのですから。

その出来事はたった12年前に起きましたが、アカヴィリからの急襲という事実は、伝説と憶測の混迷によってすでにあやふやになってきています。確かに分かっていることは何でしょうか?

その一:アカヴィルには多数の地域があり、第一紀の襲撃者達(その後、帝国に支配者達をもたらした者達)はツァエシ出身で、一方、近年の侵略軍はカマルから来たことが分かっている。しかしながら、両地域については事実上何も分かっていない。

その二:この二回目の侵略の指導者はカマルの王で、アダソーム・ディル・カマルである。彼あるいは彼のタムリエル侵略の理由については、東部王国にいる我々の密偵からですらほとんど分かっていない。捕らえられたアカヴィリのほとんどはタムリエル語を知らず、そして大半は取り調べ中に死んだ。ある報告書は、ディル・カマルは「定められし入れ物」と呼ばれる誰かもしくは何かを探していたと陳述していたが、これは翻訳ミスである可能性が大きい。

その三:理由は分からないが、アカヴィリ船団は、最終的にウィンドヘルム北東のホワイト川の河口へ入港する前に、タムリエルの北東端を回って亡霊の海へ入り、テルヴァンニ半島、ヴァーデンフェル、そしてソルスセイムを迂回した。

その四:侵略は完全に思いがけないことであり、ウィンドヘルムはマブジャールン女王が守りを固める猶予もなく包囲された。短い攻城の後、侵略者達は南門に突破口を開き、街は襲われ焼かれた。マブジャールン女王と彼女の娘であり後継者のナルンヒルデ姫は、王家の宮殿の門の前の激しい戦闘の中で殺害された。

その五:王家の士官学校生徒、ジョルン王子は、ウィンドヘルムの攻撃を逃れて少しの間姿を消した。再び姿を現した時、彼は自身をジョルン王と呼び、ノルドがアカヴィリを倒す手助けをするためにソブンガルデから引き返したという灰の王ウルフハースと名乗る強力な戦士を同伴していた。このいわゆるウルフハースを味方に、ジョルンは東部ノルドと強化されたリフテンを鼓舞した。

その六:ディルカマルが彼の軍隊をウィンドヘルムから南へ動かした時、その動機は不明瞭であるが再びリフテンを迂回し、西部モロウウィンドへ行軍した。彼らは、アルマレクシアと彼女の筆頭将軍であるインドリル家のタンバルの命令により、アッシュランドで撤退戦を行ったダークエルフの軍隊と対立した。

その七:ディルカマルはダンマーの軍を東部ストンフォールへ追い、その地では既設の守備施設を占領することによってエルフが退却を止めていた。アカヴィリの前進は減速して止まり、そして急に、彼らの後ろにジョルンと「ウルフハース」の指揮下にあるノルドの軍隊が現れた。これが偶然であるはずがない。信じがたいことだが、ノルドとエルフの間の古くからの敵対にもかかわらず、ジョルンとアルマレクシアの間に協定があり、ストンフォールでのアカヴィリの包囲は計画通りであったのだと我々は結論付けなければならない。

その八:しかしながらアカヴィリは、易々と倒されはしなかった。内海を背に、彼らは死に物狂いの防御を見せ、彼らの船が海岸から彼らを連れ出すためにホワイト川の河口に現れるまで持ちこたえようとした。何度も試みたにも関わらず、ダンマーとノルドの連合軍は彼らの戦線を突破し損なった。アカヴィリの船団が現に北の水平線上に見えたのは、もう一つの信じられない出来事が起きた時であった。土壇場で、南から戦場へ行軍していたアルゴニアンの二部隊によってノルドとダークエルフへ援軍が送られたのだ。卑怯なシェルバックの突入によって、タムリエル人はついにアカヴィリ戦線を破り、そして侵略者達は逃げ場を失い最後の一兵まで殺戮された。

おそらく陛下がお気づきになられたように、この説明は答えよりもはるかに多くの疑問を提起します。この出来事について我々が知っていることは、我々が知らないことによって小さく見えるのです。その結果、私はこの事件の重大な影響を捜査するため、王家査問委員会への資金調達を要望します。もちろん私は、この委員会を自ら進んで統率し、それに伴う任務などの負担は、適切な報酬によって補われるでしょう。

魔術師ギルドの沿革Origin of the Mages Guild

(ヴァレニア版)

アークメイジ・サラルス 著

第二紀の初頭において、魔術師、妖術師および各種の秘術師たちが研究と公的福祉のために才能と糧を結集させるという発想は革新的なものであり、目的および構造の面で今日の魔術師ギルドに近いといえた当時の唯一の組織は、アルテウム島のサイジック会であった。当時、魔術とは個人、もしくは少数の同好の士で学ぶべきものとされており、魔術師は隠者とまではいかないものの、大抵は非常に孤高の存在だったのである。

サイジック会はサマーセット諸島の支配者たちに助言役として仕え、部外者には理解できない複雑な儀式によってその構成員を選抜していた。組織としての存在意義や目的が公示されることもなく、彼らを非難するものたちはサイジック会の力の根源をあらゆる邪悪な要素に結びつけようとした。サイジック会の宗教は祖先崇拝といえるものであったが、この類の教義は第二紀には徐々に時代遅れと見なされつつあった。

アルテウム島のサイジックの一人であり、かの有名なイアケシスの弟子であったヴァヌス・ガレリオンがサマーセット諸島中から魔術師を集め始めた時、誰もが彼の行いに反感を抱いたという。彼はファーストホールドの街中を拠点としていたが、これが魔術の実験は住民の少ない地域でのみ行うべきとする(ある程度根拠のある)考え方に反していたのである。さらに衝撃的であったのは、ガレリオンが費用さえ払えば一般市民の誰もが魔術品、秘薬、そして呪文でさえも利用できるようにすると申し出たことであった。これは魔術が貴族階級や知識階級の特権ではなくなることを意味していたのである。

ガレリオンはイアケシスおよびファーストホールドの王、ライリスXII世の前に召喚され、作りつつあった組織の意図を問いただされた。ガレリオンがライリス王とイアケシスに対して行った演説が後世のために記録されていなかったのは悲劇に違いないが、ガレリオンが今や全土に広がったこの組織を創設するためにどのような虚構や説得を用いたのかについて歴史家たちが空論を戦わせる題材にはなっているようだ。いずれにせよ、ガレリオンの組織は認可されたのである。

ギルド創設から間も無くして、保安面の懸念が生じた。アルテウム島は侵略者から自らを守るのに武力を必要としていなかった。サイジック会が何者かの上陸を阻止すべきと判断した場合、島およびその全住民がこの世から姿を消してしまうだけのことだったのである。これに対し、新たにできた魔術師ギルドは番兵を雇わざるを得なかった。ガレリオンはすぐに、タムリエルの貴族階級が何千年もの間思い知ってきた、金だけでは忠誠は買えないという事実を知らされることになる。次の年にはランプ騎士団が結成された。

ドングリから木が育つかのように、サマーセット諸島の各地に魔術師ギルドの支部ができ、やがてタムリエル本土にも進出していった。迷信ゆえか妥当な懸念ゆえか、魔術師ギルドを領土内で御法度とした領主の記録も数多くあるが、その次の代もしくは次の次の代くらいまでには魔術師ギルドに自由を認めてやることの利点が浸透した。魔術師ギルドはタムリエルにおいて強大な一派となり、味方としてはどこか無関心ながら、敵にまわすと手強い存在になっていたのである。魔術師ギルドが実際に地元の政争に関わるのは稀であったものの、一部の例外的な案件においては魔術師ギルドの関与が最終的な顛末を決定づけることになっている。

ヴァヌス・ガレリオンによる創設以来、組織としての魔術師ギルドはアークマギスター六名からなる評議会によって統制されている。各ギルドホールは賢者により運営され、遺物師と武芸の長の二名がこれを補佐する。武芸の長はランプ騎士団の支部長を兼ねる。

魔術師ギルドの一員でなくとも、この複雑に構築された階級制度が時に絵空事でしかなくなることは想像がつくであろう。タムリエルを離れてあの世へ向かう際にヴァヌス・ガレリオン自身が苦く言っていた。「ギルドは奇妙に入り組んだ、政治的な内紛に過ぎなくなった」のだ。